僕は、パニック障害持ちだ。
20代後半から発症し、30の今になっても、ときたま症状が忍び寄る。
症状がキツすぎて、死にたくなるときが何度もあった。
それでも、自分が死んだときの母の顔を想像したら、それだけは許されない気がしてできなかった。
そこに対して、自由を打ち砕かれる思いを抱き、パニックが起きて、また苦しむ。
そして、何事もなかったかのように5分くらいでよくなったりする。
そんな浅はかさによる自己嫌悪、そして、パニック。
そんな日々の繰り返し。
根本は何なのか、それを見つけて駆除しないと治らない。
そんなことばかりを考えていた。
投薬しながらだましだまし体を動かして、
よくなったりわるくなったりを繰り返して、
原因にメスを入れていた。
そんな折、約5年ですか。根源まで遡ったら、もっと前かもしれないけど。
とまぁ、それなりな長さなんすけど、
森田療法の思想に出会って、というより、そちらに魂が耳を傾けてくれた、という指向性が正しいかもしれないけど、
ありのままの自分を、受け入れられるか、受け入れられないか、そういう瀬戸際に立つことが許された地点があって、
ちょうどドンピシャのタイミングで、
THE BLUE HEARTS のロクデナシを、初めて聞いた。
閃光が走った。
初めてメロディに涙した。
まやかしなのかもしれない。それでも、何か惹かれるものがあるのは確かだった。
こういうロックな音楽性の中に、僕の根っこがあるんじゃねぇのかなと感じずにはいられなかった。
それから僕は、甲本ヒロトに憧れた。
これまた、初めての体験だった。
今、この瞬間をめいっぱい、ありのままを生きられる。ふっきれられる。
そういう人物に憧れていたからなのか。
はたまた、彼は、彼自身以外の何者でもないからなのか。
そう思えるようになったら、なんかしらんけど、現状を受け入れながら生きるのも悪くねーかなと、思えるようになった。
そしたら、ふっと、心が軽くなった。
しょーじき、今、この瞬間も症状が出てきてつらい。
でもそれは、今まで経験していたものとは180度ベクトルが反転した、心地よいつらさであって、
初めてパニックを受け入れられている実感が、実態として現れた、ロックなメロディと共に。
ありのままでいいじゃん
そんな姿を体現している甲本ヒロトは、僕にとってのスーパースターだ。