先日、X のタイムラインになかなか興味深いポストが流れてきた。
まずはじめに、この読書垢は承認欲求の道具として本を消費する場じゃないと思うんだけどなぁ
に対して——
わたしは、別によくね?
というスタンス(もちろん、公序良俗の範囲内)であることを表明する。
というのも、人目に付く機会が増えれば増えるほど、本の売れる確率は上がるっていう単純な話であって、さすれば本屋も存続する可能性が上がるのだから、書き手も読み手も Win - Win になるでしょって理屈。ただでさえ斜陽産業とよばれる出版業界を、真面目に本を読んでいる人たちが届く人にだけ届けばいい的エコーチェンバー化で追い打ちかけてどうするの? と、逆に問いたくなる。
まあ、そもそも論として、SNS のフィードが、個人の検索や閲覧履歴から各々の好みを学習して表示する仕組みに洗練されてしまった弊害もあろう。そんな世界だからこそ、外向きに対するエネルギーを増やしてバランスを取っていく必要があるんじゃねぇかなと、思ったりしている。
結論
きっかけはどうあれ、興味を持ってもらわないことには、何事も始まらないよねっていう話でした。ギャルが本を紹介してたらおもろいやん?
所感
ここ三年近く読書垢のポストを観測してきた肌感として、太宰治がいうところの、
が、現実味を帯びてきた。
孤独に耐えられるほど人間ってのは強くできていないもので、読書垢で支配的な#読了
によって本の情報をシェアする行為に、お友達発見機能が組み込まれている気がしてならない。
こういうハッシュタグをつける行為自体にエコーチェンバー感を見出し始めたので、今後は、避けていきたいですな。