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梅雨時期を、頭痛で感じる、我が身かな。

毎度のことながら、気圧が地に落ちてくると頭の中の信号が乱れてきます。ちょびっと頭の片隅が痺れるくらいならカロナール、割れるほどの痛みならロキソニンを利用するのですが、最近いきつけのお医者様はどうも漢方薬厨であるからしてツムラ五苓散エキス顆粒(医療用)なるものを処方されました。

漢方薬を利用するのは、パニック症状・不眠症を罹患した以来数年ぶり。そのときは漢方ってすげーってなったけど、今回はどうなることやらという一抹の不安を抱きつつ服用。

やっぱ、漢方はすげえや。効いてくるまでに 3 日くらいかかったけど、いま現在体調がすこぶるよい。それに、副次的な効果で下しがちだったお腹が改善されたのよな。便の水分がいい感じにコントロールされるのにはびっくりした。

このサイトで更新知らせ書いたことなかったけど、ドメイン代払っておいて放置しておくのもなんかもったいない気がしてきたので、きょうから有効活用することにする。

本の感想とは違うけど、書いたときの背景を補足できればいいと思う。あとで思い出し笑いできるくらい。

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最近は古めの SF にハマっている模様。あんまり懐古厨すぎんのもよくないかなーなんて頭の中では理解しながらも、勝手に食指が伸びちゃうのよね。

なんかこう、竹取物語に出てくる光輝く竹なみに、本棚の一画が、もっというと本の背表紙が光り輝いて見えるのよ。初めてその状況に出くわしたときはあまりにも異質な体験だったもので、両目を手のひらの付け根部分でかなり強めにゴシゴシしたの。でも、相変わらず光ったままだったのをいまでも覚えてる。別段、不思議なお薬ブーストしてるわけでもあるまいし、身体に直接的な悪影響がないから、いまは特に違和感なく受け入れられるようになったけれども。

ただ、厄介なことに、光ってるやつを放置するってのがなかなか厳しい。それを読了するまで、永遠と惹きつけられるのよ。

それが最近、古めの SF をとりわけ読んでいる理由。はい。特定のジャンルにこだわりがあるわけでないのです。あんまり高尚なこと考えてなくて、歯が痛くなるのがイヤで歯磨きするくらいの感覚で読書してるともいえる。

糖質制限のもたらす悪魔的飢餓感がやばい。

思考リソースの 9 割 9 分が食への欲求で満たされている。残りの 1 分に至っては『ふわふわ時間タイム』の無限ループによる占領。そんな常時メモリリーク状態のおかげで、日常のパフォーマンスはガタ落ち。キーボードに乗せている指先がアル中ばりにびくびくしてるし、抽象化レイヤも崩壊。
僕にできることは、入力:(」・ω・)」うー! 出力:(/・ω・)/にゃー!という単入力単出力システムを構築することだけ。

とあるドイツの詩人が、喜びを人に分かつと喜びは二倍になり苦しみを人に分かつと苦しみは半分になるなんて言葉を残したけど、きっとその人は糖質制限をしたことないと思う。制限によってもたらされた苦しみが人に相談したところで減るのであったら、人類はもっと平和だったろうし、ましてや戦争なんて引き起こされないなんて思わずにはいられないの。

でもね、体重が日に日に落ちていく自分をみると、すっごく嬉しいの。脳内報酬系の単純な物語なのだけれど、覚醒剤や麻薬など、ある種の化学物質に人が魅せられてアディクション状態になってしまう気持ちもわかった気がする。

ってことで、糖質制限。

苦しいけど楽しくはあるので続けたいと思います。

仄暗い。全ては灰色。

はれやか、

何者にも、犯されない。

すこやか、

何人にも、犯させない。

無人。虚無。

どうしてこの景色を?

滲む。汚れ。結節。

濃淡。平板。薄い。

あぁ、そうか。

君のおかげだ。

ありがとう、私。

さようなら、私。

くそったれ、私。

おはよう、僕。

真っ白な、僕。

夏の日差しが照りつけるコンクリートジャングルの細い路地裏に、三匹の子猫がいた。その内の一匹の黒猫は残りの衰弱しきった子猫の前に口に咥えて引きずっていた魚を置く。

『ほら、食べなさい』

平べったいダンボールの上で横たわっていた白猫と茶トラはゆっくりと立ち上がると、背丈よりも大きい魚を啄み始めた。頭を動かす度に二匹の首に付けられていた鈴がちりんと鳴る。子猫たちは、鬱陶しそうに前足で鈴を掻いていたが、余計に甲高い音が鳴るだけだった。

『ちょっと待ってなさい、取ってあげるわ』

黒猫が周りを見渡し、人がいないことを確認すると、頭をわしゃわしゃして小学生くらいの女の子にぽんっと変わった。二匹の元へ歩み寄ると、鈴を外す。

「これでゆっくり食べられるわね」

二匹は鈴が外れた瞬間、一心不乱に魚を食べ始めた。

黒猫少女は飾りっ気のない赤色の輪っかの部分を見回したが、そこには何も書かれていなかった。

「これじゃあ探しようがないわね……」

黒猫少女は猫の姿に戻ると、子猫たちが食べ終わるまでじっと眺めていた。

背丈ほどの魚はみるみるうちに骨を残すだけとなった。

満足したのか、茶トラは魚を食べ終わるとダンボールの上へ戻って床につく。

『助かったわ』

白猫は黒猫へと近づくと頭を下げた。

『これからどうするの? あんたら飼い猫でしょ?』

『もう違うわ……私たちは逃げてきたのよ』

『そう……なら、私に付いてきなさい。いい寝床があるのよ』

『……理由を聞かないの?』

『言いたくなったらでいいわよ』

白猫は寝ていた茶トラを叩き起こすと、黒猫の後を二匹で辿った。

『東雲商店街』と書かれていた門をくぐると、商店街の広場へと向かう。広場にはすでに多くの猫がたむろっており、三匹を出迎えた。

『この子たちの面倒をみてあげて欲しいのだけど』

『それは問題ないけど』

その内の一匹が二匹の子猫に近づくと、それぞれの頭を猫手で払った。辺りに甘い香を炊いた匂いが漂う。

『君たちも、素質があるみたいだね』

『素質?』

白猫が尋ねた。

『私たちはね、この世に生まれて十年もすれば人間に化けることができるのよ』

白猫と茶トラが互いに顔を見合わせる。

『私たちは、人間になれるの?』

『ええ、あなたたちもそろそろ変態できていいと思うのだけれど、その様子だとまだ自覚できてないみたいね』

『そうなのね』

白猫は不敵な笑みを浮かべた。

『それはそうとして、この子たちをどこに置いておくの?』

茶トラは白猫の後ろにぴったりとくっついて、離れようとはしなかった。

『流石に二匹一緒は難しいよ。うちも商売あがったりだからねぇ』

『別々ならいいってこと?』

白猫が尋ねる。

『そうねぇ』

『お願いします』

白猫は茶トラの頭を下げさせた。

『あんたも独り立ちしなさいな』

茶トラはそれでも、白猫から離れない。

『大丈夫、あなたたちは、私が必ず、守るから。安心して』

黒猫は、強く、凛々しく、労わるように、茶トラの頭を撫でる。その諸手に茶トラは導かれるかのごとく。

『ばいばい、お姉ちゃん』

ときの涙を浮かべた。

藍色。所々、欠落。

視界の先が滲む。

全ては、等しく凍りつきて、天地。

ひっくり返って、搾り取られる雑巾で、痛い。

あっちにふらふら、こっちにふらふら。

どこにもいけない、どこへもいけない。

私は半分、大人な子。

勇気もなければ、責任もない。

一生、反復横っとび。

もう、飽きました。

ありがとう世界。

暗い、何も、真紅。

結膜。陰り、頭痛。

手触、ぬめり。腐臭。

蒼天。晴れ。しかして、雨。

驚天地。最愛中。目下励。

唱和。

「「:::;」」

不文律。

さして、雨。

照らせ、雲。

すべて?

変化。終焉。

そして、僕。

普通って、何かしらね。

世界って、普通なのかしら。

私って異常?

私からしたら、何も考えずに、のうのうと、淡々と、苦しみもなく、馬鹿みたいに生きてる方がよっぽど異常よ。

そもそも、異常って何かしらね。

常に同じ形を保てるものって、存在するの?

思想、概念?

結局、都合よく変わるじゃない。

だったら、みんな。すべからく異常よ。

そうすれば、異常なんて言葉は無くなって、普通の世界に戻れる。

普通という言葉すらなくなる。

永遠と平板な、淡々とした世界。

いいじゃない、平凡。

何がいけないの?

いいじゃない、平和。

どうして達成されないの?

やっぱり、

世界って、

ゴミクズね。

あーあ。

気持ち悪い。

でも、

嫌いじゃない。

SF の題材として頻繁に取り上げられ、いまや現実世界においても日に日に存在感を増しているロボット。それは内閣府が提唱する Society 5.0 で実現する社会においても、AI や自動走行車などの技術と共に、少子高齢化や地方の過疎化、貧富の格差などの課題解決に向けて注目されている。

ロボットと一口にいってもその形態は様々だ。自動制御によって動作し、多目的マニピュレーション機能を持った産業用や、四足歩行型エンタテインメント用「AIBO」。「感情エンジン」と「クラウド AI」を搭載した感情認識ヒューマノイドロボット「Pepper」など、枚挙にいとまがない。

それらに付随して、生成 AI や AI 時代の幸福論「テクノユートピア」に対する期待は年々急激に高まっている。しかし、理想社会と現実社会の乖離は顕著だ。具体的には、2023 年のイギリス Amazon 倉庫の労働者ストライキや、人工知能の進歩で仕事が減らないよう保護する、アメリカ脚本家組合(WGA)によるストライキなどが挙げられる。

AI やロボットが人間の仕事を奪ったときに起こりうるできごと? というプロットは SF 小説にも数多く見られるが、とりわけ、アイザック・アシモフの作品群は外せないだろう。彼の描くロボットと人間の関係性から垣間見える「わたし」のあり方は精彩だ。

本書は著者の連作短篇集で、いまなお数多くの SF で利用されるロボット工学三原則(下記)が生まれたマイルストーン的作品だ。

第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条

ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

各項目の相剋によってもたらされる事件がモチーフとなっており、ロボットが、ときには身を呈して人間を守ったり、ときには人間に刃向かったりと、様々なエピソードが収録されている。加えて、まるでミステリー作品のように自らの手で事件の真相を紐解きながら読み進めることができるのも、なかなかに面白い。

本書の特色は、いずれのロボットも陽電子回路という脳が組み込まれていることにある。もっというと人工知能が搭載されているのだ。そのためロボットは、与えられた命令をもとに自ら思考し判断を下すプロセスをロボット自身で実行することができる。与えられた命令の如何によっては、人間かロボットを守るべきか、というジレンマをロボットが引き起こすことになる。この自然言語処理問題は、近年話題のプロンプトエンジニアリングに対して通ずる部分もあるだろう。

本作が半世紀以上前に書かれているのは驚きを隠せない。それはきっと、本作が単なる技術物語としての枠組みに収まらず、人間の内側をとらえた作品だからなのかもしれない。

寝ても覚めても、頭痛がひどい。

頭痛薬を飲んでも、効いてくれない。

何かに集中して気を紛らわそうとしても、痛すぎてきつい。

参ったねこりゃあ。