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激病みyammyな日常

何気ない日常を、何気ない感度で過ごすことは難しい。

思えばそれは、人間が文字というものに触れてしまったことに起因するのではないのだろうか。

経済、法律、市民。近代化に伴い、そういう にいやでも高度に抽象化された世界を「色眼鏡」で見るしかない、というより、そうせざるを得ない。世界の全てがobject化し、似たようなclassに分かれ、protectが存分に効いたcapsuleの中で汚れを知らないまいまま過ごすことが、至極当たり前な空間に置かれる。

しかしながら、精神疾患という流行病に一度でも汚染されると、privateに見えていたはずの概念は実はpublicに汚染されていた変態破廉恥クソ野郎だと事後報告され、その汚れは他のclassを無条件にoverrideしていく。

こうしてすべての概念は闘争状態に陥り、すべてを猜疑し、そこから逃走する権利を無条件に剥奪する。

疑い抜いた体は、煩悩と同じ数である108番目くらいの出汁をとった、もはや出汁と呼べるかすら怪しいレヴェルのでがらしに成り果てて、広大なゴミ捨て場へほっぽり捨てられる。

やけに淫雛な臭気が漂うゴミ捨て場の中で、一人たゆたう。それでも、世界は世界のありようを無条件に頭部に突きつけ、また新たな戦場へと無慈悲に駆り立てる。

全てはそんな繰り返し。

そして、こうした輪廻をさしたる問題もないように振る舞うことこそが、悠久にも思える時間を経てたどり着いた僕の生存戦略。

闘争からのいくばくかの逃走。この逃走の中にこそ、闘争へ至るための何かがあると思う。