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文字を書き続けることへの限界

「書き言葉」の登場により体系化した宗教や思想が生まれると、それらが経典として編纂され、こうして残された文章がコミュニティの繁栄と、国家の存亡を司ってきた。

いわば、「文字」は人間活動の発展を支える基礎インフラを形成しているわけなのだけれども、そんな超重要アイテムを、過渡期の現在for free感覚で自在に使えるような社会に生み出されてしまったことは、僕にとって苦痛でしかない。

そう、やたらめったら「文字」を書けば書くほど、いやな雰囲気が否応なしに付きまとうのだ。仄暗い陽炎のように世界が滲み出し、あるべきことを、あるべきままの形を残して伝えることができない現実が、無慈悲に頭をのぞかせる。

それがあたりまえだと割り切れたら、どれほど心が楽になれるのだろうか。

ただparanoiacが発症する。そんな 自意識過剰 な自己パーソナリティにも腹がたつ。

Who cares?
——世界はそれほどあなたに興味はない。

そういう非情さが、冷たい仮面を被った雑踏の色合いとほぼほぼ変わらない色素でもって、僕の世界を彩る。

だから僕はしばらく音楽と絵に溶け込むことにする。「文字」を書くより幾分心が休まるから。