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made of fake

ここ最近の課題。

裸になることを恐れているのでは?

もちろん、物理的に裸になるっちゅう意味ではなく、精神的な意味でっていう。

ヘラヘラ笑ってフェイクで逃げて、なけなしのプライドを傷つけられることが許せていない。潜在意識に根付いたプライドはなかなかに捨てづらく、肝心なところで拒絶が先行してしまう。この行為がいかなる生産性もないと理解しているつもりでも、体が指令を聞いてくれていない。

教育的な意味で環境のせいにすることはいくらでもできるけど、それをしたところ過去は変えられないし、意味はない。だからといって、フェイクまみれの現状を打破できるには、あまりにもフェイクな世界に浸かりすぎてしまった。

もはや、自分自身が遺伝子レベルでフェイクを生成してしまっている。もう、生きることそれ自体がフェイクにすら錯覚しうるほどのレベルで。

それすなわち、

  • 生きている実感がもれなく希薄化
  • 私生活=(他人の絵空事)をふかん視点からのぞき込んでいるような浮遊感

「斜に構える」という言葉が、現状を指し示すワードとして正しいのか正しくないのか判別つかないけど、まっすぐ歩く方法がわからなくなってしまっているのは事実。

一直線に歩くことはあまり好みではないけど、ときには真っ直ぐ歩きたくもなるので処方→現実に対する無頓着からの脱却

  • 肉体的な衰えを最小限に抑えるためにちょくちょく運動・散歩から:メンタル VS. 体力
  • 一つ一つの呼吸を確かめながら行動