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つらいことの訪れは、魂のアップデート期間の到来

「魂の」アップデート期間とかいう極度に胡散臭い修飾語を伴う文言は、リアリストの範疇におさまる僕からしたら絵空事以外のなにものでもなく、もっと言うと、空を軽やかに舞う羽鳥みたいにふわふわとした領域へと抵触することに対する「警告」を意味するのだけれども、ここ最近の私生活において、偶然にも、蓋然性が高まる、シンクロニシティの、未来の自分からの問いかけの、連続性の波にさらされていると、一体全体どういうことだか科学的根拠の存在しない部分にこそ、スピリチュアルな雰囲気に呑まれることでしか語り得ない色素の中にこそ、生きる上で大事な本質が存在するのではないのだろうかという「実態」が、仮想の紫煙と吐息に混じって空間を侵食し始めてきたので、記すことにす。

体調が良くなったり悪くなったり(ここで言う体調が良いっていうのは、例えるなら、外に飛び出て踊り狂いたいほどの、地球への一体感を感じられるほどの、サイケデリックス接種状態に近接できることを表す一方で、悪い日は「死にてぇ」という自殺念慮が極度に高められたバッドに入る感覚に近い)、それらはまるで波動のようにある特定の周期的な性質をもって、自身の内臓を、精神を駆け巡るエネルギー伝播へと移り変わる。

そういう繰り返しの日々の中で、当然目指すべき指向性は「バッドをいかに最小限に抑えるか」っていう要綱を得ることにつながるのは至極当然のように思うのだけど、これが実際、なかなか難しい。

バッドに入る前のマインドセットをいくら用意したところで、いざバッドに入ると、暖簾に腕押し、泥に灸、なんなら、マインドセットを用意したことに対するストレスで余計に落ち込む。仮に、このときに浸っていた状態を「負の」エネルギーとした場合——もちろん、強大な「正の」エネルギーにあてられる経験(アヤワスカ接種して自殺念慮がまるっと消えたやつ)があれば、そもそも論として解決されるべき問題ではあるのだろうけど——僕自身はそういう外部要素を利用せず、なんなら薬を服用せず、自分のことはあくまで内面で解決したいという身勝手な意志が働くのでかしこ。

となると、バッドに入ることそれ自体を「負」として捉えるのをやめることから始めなければならず、体調が良い日と悪い日の二元論で捉えるのではなくて、両方とも擬似的な「正」として次元を一つ落としてコントロールする必要性と、その適切な運用方法であってして、それはすなわち、新たな潜在意識を獲得するためのアップデート期間に該当するのではなかろうかということです。

ハイヤーセルフへのチャネルを開くために、「正」の坩堝から滲み出たエネルギーとうまく向き合う。これこそが今の僕の課題であり、生きやすい世界へと到達するための生涯にわたって向き合うべき最も大事な要件だと思うのです。