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年を重ねるごとに小説を読む難易度が上がっていくぅ😭

年を重ねることに、僕は戦慄します。そう、小説を読むために必要なエネルギーの代謝が、ことごとく落ちてしまうのです。

もちろん、単純にモチベーションが落ち込んでいるという意味合いではなく、むしろ、読みたい欲は年々まし続けてはいるのですが……若かりし頃には純粋無垢なおももちで接種できていた成分は、知識の固着化にともなって、ある種、老害化してしまっているのです。

具体的には、「〇〇は△△」という描写に触れた際に、それを自明のものとして処理できず、『いや、「〇〇は、□□ or ◇◇」』の方が妥当といったようなツッコミがとめどなく溢れてしまうのです。

つまりは、もしかしたら存在し得たはずの多様性を無意識レベルで殺してしまっているのです。

これは僕にとってゆゆしき事態で、 小説 を読んでいるのに 主義主張 を押し付けようとする 危険 な読み方に他ならず、そこに行き着くと個人間の枠組みを超えた論争に突入しかねないからです。

僕はあくまで、小説は個人レベルでとどまるべきものであって、そこにいかなる強制力も、効力ももってはならないというスタンスを保つので、だからこそ、身の危険を感じて読みにくくなってしまうのです。

ここでとるべき最良の戦略は思考の柔軟性の獲得であって、知識を一つの様態にとどめないことなので……

もちろん、俺らは抵抗するで、拳で

ではなくて、知識のアップデートで。

だからこそ、読書の難易度が上がっても読み続けなければいけないのかもしれません。